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【茶器/茶道具 炭道具】 炭斗(炭取り) 竹 棗型 黒田正玄作 而妙斎書付

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商品の詳細情報

送料無料棗形炭斗籠・炭取り籠・炭取籠・炭斗籠・炭取り篭・炭取篭
サイズ約直径27.3×高12.3cm 作者13代 黒田正玄作 而妙斎書付 箱木箱   (ス丸さリ)(・1188000) 【コンビニ受取対応商品】炭斗(すみとり)とは 亭主が客の前で炉や風炉に炭を組み入れる炭点前(すみでまえ)で用いる、炭を組み入れ、香合・羽箒・釜敷・鐶・火箸を添えて席中に持ち出す器のことです。 炭取とも書き、烏府(うふ)ともいいます。 多くは籠などの組物で、内張をしてそれに漆をかけたものが用いられます。 唐物と和物があります。 唐物炭斗は、藤、竹などで編まれた籠で、編み方は部分々々に変化をつけ精巧を極めたものが多く、藤と竹の交ぜ編み、棕櫚皮を編み込んだものなどもあります。 唐物炭斗は、籠以外には、漆器類や青貝入り、金馬(きんま)などもあります。 和物炭斗は、籐、竹、藤蔓、蓮茎(はすくき)などで、編み方は唐物よりざんぐりしています。 和物炭斗は、籠以外には、瓢、一閑張、蒔絵、曲物、指物などがあり、「冊屑箱」(さくずばこ)、「茶撰籠」(ちゃよりかご)、「散華皿」(さんげざら)、「箕」(み)、「炮烙」(ほうろく)などが用いられることもあります。 炭斗の種類には、「菜籠」(さいろう)、「瓢炭斗」(ふくべすみとり)、「神折敷」(かみおしき)、「炭台」(すみだい)、「箱炭斗」(はこすみとり)などがあります。 利休形の炭斗には、油竹、鱗籠、達磨、菊置上椽高(きくをきあげふちだか)、木地炭台、瓢、水屋用の桑箱炭斗があります。 宗旦好には、瓢手付、一閑秕目神折敷(大)、葛桶(くずおけ)があります。 --------------------------------------------------------------------------- 【14代 而妙斎】 表千家 1938年昭和13年生まれ  13代 即中斎家元の長男 1967年昭和42年 大徳寺の方谷浩明老師館長より、「而妙斎」の号を与えられ宗員となる 1979年昭和54年 即中斎の死去により、1980年昭和55年2月28日、に14代 宗左を襲名する 1990年平成02年 利休400年忌を迎え、法要を営み茶事を催す 2018年平成30年02月28日 代を譲り、隠居名 宗旦を名乗る・・・・・ 黒田正玄は千家の正統的な茶道具を制作する千家十職の一家(竹細工・柄杓師)です。  明治維新に至るまで将軍家御用柄杓師を務めました。 【初代 黒田正玄】 1578年天正06年~1653年承応02年  越前国黒田郡の出身で、名を七郎左衛門(後に正玄)、俗称を日参正玄といいます。  当地の丹羽長重に仕えますが、のち剃髪して「正玄」と改名し、近江国大津で竹細工を業としました。  天下一と称されていた一阿弥に師事したとされています。  後に上京して小堀遠州に茶の湯を学び、その推挙で将軍家御用柄杓師を務めました。  茶の習得に遠州に日参した為、「日参正玄」と呼ばれた。さらに、大徳寺156世江月宗玩に参禅した事でも知られています。 【2代 黒田正玄】 1626寛永03年~1687年貞享04年  初代 正玄の三男として生れ、名を宗正(後に正玄)といいます。  小堀遠州の推挙で3代将軍・徳川家光の御用柄杓師を務めました。 【3代 黒田正玄】1656年明暦02年~1717年享保02年  2代 正玄の長男として生れ、名を弥助(後に正玄)、号を正斎といいます。  5代 将軍・徳川綱吉の御用柄杓師  表千家 6代 覚々斎宗左、久田家3代徳誉斎宗全の御用を務めました。 1704年宝暦元年 長男・弥吉に家督を譲って隠居し、「正斎」と号す。 【4代 黒田正玄】千家職家となる 1692年元禄05年~1731享保16年  3代 正玄の長男として生れ、名を弥吉(後に正玄)といいます。  5代 徳川綱吉の御用柄杓師、表千家6代覚々斎宗左の御用を務めました。この代より千家職家となりました。 【5代 黒田正玄】1708(宝永5)年~1778(安永7)年  4代 正玄の養子で、名を才次郎(後に正玄)といいます。  8代 徳川綱吉の御用柄杓師、表千家7代如心斎宗左、裏千家8代一燈宗室、武者小路千家7代直斎宗守の御用を務めました。 【6代 黒田正玄】 1747年延享04年~1814年文化11年  5代 黒田正玄の次男として生まれ、幼名を正次郎、名を弥吉(後に正玄)、号を弄竹斎・玄同といいます。  10代 徳川家治の御用柄杓師、表千家8代そったく斎宗左、裏千家 9代 石翁宗室、武者小路千家 8代 休翁宗守の御用を務めました。  上京町年寄を務めました。 【7代 黒田正玄】 1768年明和5年~1819年文政02年  6代 黒田正玄の養子で、幼名を弥三郎、名を弥吉(後に正玄)といいます。  11代 徳川家斉の御用柄杓師、表千家 9代 了々斎宗左、裏千家10代認徳斎宗室、武者小路千家 9代 好々斎宗守の御用を務めました。  上京町年寄を務めました。 【8代 黒田正玄】 1809年文化06年~1869年明治02年  7代 黒田正玄の長男として生まれ、幼名を熊吉、名を弥吉(後に正玄)といいます  12代 徳川家慶の御用柄杓師を務めましたが、明治維新によって将軍家の庇護を失いました。 【9代 黒田正玄】 1837年天保08年~1859年安政06年  8代 黒田正玄の養子で、幼名を弥一郎、名を弥吉といいます。早世しました。 【10代 黒田正玄】1825(文政8)年~1900(明治33)年  8代 黒田正玄の婿養子で、名を利助(後に正玄)といいます。  9代 黒田正玄が早世した為、師・8代 黒田正玄の養子となって10代を継承しました。 1881年明治14年、長男・熊吉に家督を譲って隠居しました。 【11代 黒田正玄】 1869年明治02年~1911年明治44年  10代 正玄の長男として生まれ、名を熊吉(後に正玄)といいます。  表千家 11代 碌々斎宗左、裏千家 12代 又みょう斎宗室、武者小路千家 11代 一叟宗守の御用を務めました。 1881年明治14年 11代 黒田正玄を襲名しました。 【12代 黒田正玄】 1906年明治39年~1988年昭和63年  11代 正玄の長男として生まれ、名を久万吉(後に正玄)といいます。  父が逝去した時に未だ幼少であった為、黒田常次郎が後見となりました。 1926年大正15年     家督相続する。 1943年昭和18年     政府認定技術保存資格者 1976年昭和51年4月28日 紺綬褒章受賞。94歳で死去 【13代 黒田正玄 (本名 正春)】 1936年昭和11年生~  早稲田大学文学部卒 1966年昭和41年 13代を襲名 【千家十職の一覧】以下の職方 ・樂吉左衛門(茶碗師) ・大西清右衛門(釜師) ・中村宗哲(塗物師) ・駒沢利斎指物師(指物師) ・中川浄益(金物師) ・土田友湖(袋師) ・奥村吉兵衛(表具師) ・飛来一閑(一閑張細工師) ・黒田正玄(竹細工・柄杓師) ・西村(永樂)善五郎(土風炉・焼物師)
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価格 : 968,000 円 (税込)
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